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京都御所・二条城周辺

Anthony Bourdain

 京都御苑 - 蛤御門

禁門の変 最大の激戦地

禁門の変(蛤御門の変)とは、八月十八日の政変により京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた事件である。京都守護職であった会津藩の配下で、新撰組も京都御所の護衛に就いている。

蛤御門は禁門の変で長州藩と、御所の護衛に当たっていた会津・薩摩・桑名藩との間で激戦が行われた。現存する門の梁にはその時の弾傷らしき跡が残っている。

 

 

京都御苑[環境省]HP http://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/

京都御所 ー 建礼門

八・一八の政変で壬生浪士組が守護

 孝明天皇の住居であり、八月十八日の政変の舞台となった。八月十八日の政変とは、過激な尊皇攘夷派として勢力を伸ばしつつあった長州藩と尊王攘夷派の公家たちを公武合体派であった薩摩藩が京都守護職の会津藩と結託し、京都から追い出すために画策された事件である。

 新選組の前身である壬生浪士組は建礼門と仙洞御所の守備に就いている。この功績により「新選組」の隊名を拝受した。

 新選組が参内してきた時に、蛤御門で守備に就いていた会津藩兵との間で通せ通さぬのいざこざがあり、芹沢鴨が槍ぶすまの前に立ちはだかって「公用方よりの急達により、御花畑迄まかり通る!」と言い放ち、扇で槍の穂先を扇いだというエピソードが残っている。

 

 

宮内庁参観案内:京都御所HP

  → http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

京都守護職屋敷跡

 

京都守護職は、京都の治安維持のために設立された幕府の役職で、京都所司代・京都町奉行などの上位に位置づけられた。会津藩主・松平容保が京都守護職に就任した。会津藩が警備の任に就き、明治に入るまで6年間機能した。

現在、跡地は京都府庁庁舎が建っており、庁内に石碑が建てられている。また、門は京都国際ホテルの裏手に移築されている。

元離宮 二条城

大政奉還が発表された

徳川家康が慶弔8年にしい大将軍拝賀の礼を行った城。代々将軍家が上洛する際に居城として使用され、徳川慶喜による大政奉還が発表された。江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。また、二の丸御殿や狩野派障壁画などがあり、世界遺産に登録されている。

 

 

二条城HP→ http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/index.html

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